人生はお好み焼きなのかもしれない
皆さまお疲れ様です。
二年目です。
こちらはブログ投稿ができず今までお見せできなかった『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂へようこそ』の展示会での写真です。
中学生以下は観覧料無料だそうですが、私は700円のお支払いでした。大人だからです。
さて、皆さんは「そんなことをして将来何の役に立つの?」と言われたことはあるでしょうか。趣味の話をしている際、あるいは趣味を実際に楽しんでいる際、稀に聞こえてくる一言です。
ところで、趣味は将来に役立てるためにするものなのでしょうか。
趣味は個人に味を持たせるものであって、仕事や日常生活における便利なもの――つまるところ、学習塾のような存在にならなくたってよいのではないでしょうか。私は、趣味は人生の予習ではないと思うのです。
役に立たないことが集まっていい塩梅の味付けになるのに、役立てることに必死になって投げ捨ててしまうのはもったいない。趣味はゴミではない――尤も、ゴミのポイ捨てだっていけないことですが、趣味のポイ捨てもいただけません。
このようなことを言っては反感を買うかもしれませんが、内容がどのようなものであっても、趣味は「偉いこと」ではありません。個人が好き好んで勝手にしているだけ。偉いだとか偉くないだとか、そういったこととは本来無縁のはずです。
私は本が好きですが、よく読書をするのだと話すと「偉い」と言われることが少なくありません。そういった時、私の純粋な「好き」という気持ちに余計なものが入ってしまうような感覚になり、なんとなく、もやりとします。褒められることは好きだけれど、趣味に対する「偉い」は無粋。読書は偉くないのです。けっして。
役に立つ・立たないは関係なく、好きだから、やる。それがいつか趣のある味になるというもの。好きな味を足して、足して、足して、お気に入りの人生をつくっていきましょう。
アザラシ幼稚園、最近話題になっていますね。
立ち泳ぎ中のアザラシを茶柱、彼らのために1000円寄付した人物を千利休と呼ぶそうです。これだから日本語はやめられません。